原爆ドーム等 被ばく直後の広島

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  • Опубликовано: 15 авг 2018
  • 1946年3月頃の原爆ドーム等 被ばく直後の広島。
    映像:パブリックドメイン状態のアーカイブビデオより抜粋。

Комментарии • 12

  • @319106
    @319106 4 года назад +17

    三村明はどういう思いでこれを撮影したのだろう

  • @user-fk6bb6sf6o
    @user-fk6bb6sf6o 5 лет назад +27

    原爆ドームを見て悲しむ人、愛する人を無くした人は泣き叫ぶであろう。戦争を体験していない皆は、平和だと思っていると思います。でも、昔はこんなに無惨な争いが行われ目の前で人々が死んでいく、焼けていくのです。想像しただけで怖くなります。それなのにもかかわらず皆、子供を抱いて必死に逃げている。今では考えられませんよね。皆さん、生きている今こそを大切にしてくださいね。私はこの原爆ドームの画像を見て思いました。昔の人々はこんなにも辛い思いをして生きてきたんだな。と。明日、明後日、今日の夜。こんな事が起きるなど考えていません。まず、この平和な世界に。日本に。こんな事が起きるわけないと思っている人もいると思います。でも、この苦しみは絶対に亡くなるまで忘れてはいけません。原爆が落ちた1秒後には周りのみんなが焼け死ぬのです。学校、家、友達、親友、先生、家族、動物、恋人、気になっている人、好きな人、お店、お店の人、身近な人、近所の人、あらゆる人が近くで、もしくは遠くで。焼け死んでいきます。今ではそんな事考えられません。焼け死んでしまった人々もこんな事が8月9日に起きるなど考えていません。皆さん、本当に今を大切に楽しくいきてください。家族にムカつくことなどもあると思いますが、明日交通事故にあったり病気で死ぬかもしれません。自分の大切な人を大切に生きてください。長文失礼しました。私の気持ちをわかってください。

    • @user-in7sv3qt8b
      @user-in7sv3qt8b 4 года назад +2

      この文見たら泣けてきた

    • @hhhhatahagh
      @hhhhatahagh 3 года назад

      広島原爆投下は8月6日ですよ。

  • @user-vc6yq7yx8m
    @user-vc6yq7yx8m 4 года назад +7

    こういった映像資料ってどこのサイト(図書館?)で見る事ができるんですか?

  • @user-dr1if7rx5c
    @user-dr1if7rx5c Год назад +2

    よく耐えたな、

  • @user-kv1hi5ex5u
    @user-kv1hi5ex5u 4 года назад +7

    貴重

  • @user-rl4jw3hr7c
    @user-rl4jw3hr7c 2 года назад +2

    こうやってみると人間ってこんな兵器を作って使ってるってこわいね…

  • @user-kj3mz1cs1q
    @user-kj3mz1cs1q Год назад +1

    みんな、、、今のやつ理科の教科書に乗ってるでこの写真

  • @anago34
    @anago34 5 лет назад +15

    原爆ドームが保存された経緯は有名だけど、そこまで何故残ったかについては、ほとんど語られてないね
    被爆直後の映像見ると、原爆ドームだけ焼け残ったわけでもなく、少なくない破壊された建物があったのに
    ごく一部が修復された以外、その多くは取り壊したわけだけど
    何故原爆ドームだけ最後まで残ったかは伝わってないように感じる

    • @ktk2501
      @ktk2501 5 лет назад +6

      確かに。
      が、原爆ドームですら解体されそうな時期・状況もあったりもしますしね(世界遺産になるまでは、そう遠くない過去であっても、老朽化を理由に壊す話もありましたし)。
      原爆遺構・戦争遺構は「負の記憶」として消される傾向するらあったと言っても過言ではないでしょう。
      偶々、煉瓦造にも関わらず、爆心に近く直上からの圧しかかからなかったことで、特徴的な意匠が残ったこと(ドームの鉄骨が残った)、そして大きいのは、恐らく県の施設で公有地にあったこと。平和公園の直近であったこと。これが遺った理由の根本でしょう。
      他の、民間のRC造の建物は、焼けビルを解体して建て替える「力」が大きかったでしょうし、橋梁等も更新が最優先になったでしょう。学校等も然り。ドーム近くにRC造の小規模な建物(野村氏が地下室で助かった建物)が残っていますが、これも公的施設+敷地条件故、遺ったのでしょう。
      他の都市でも、大空襲の遺構は殆ど滅失しています。
      これは、戦争遺構を敢えてそのまま遺す、ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム教会・・・焼損した建物を、敢えて修復して遺す、ベルリン大聖堂・ドレスデン大聖堂・ドレスデン国立歌劇場・ウィーン国立歌劇場、壊滅した市街を復元したワルシャワ旧市街・ローテンブルク旧市街・・・などの試みや精神性と、戦後日本の辿ってきた心性というか立脚点の違いでしょうか。
      或る意味、自ら進んで健忘症になって、カネよカネよに明け暮れる日本人の愚かしさかもしれません。